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2011.04.30 「ポーラースター、ぼくの声を聞いてくれ」サンプルです。

スパコミで発行予定のハルヒ新刊「ポーラースター、ぼくの声を聞いてくれ」の本文サンプルです。
2008年に発行したポーラースターシリーズを再録し、一冊にまとめたものです。
誤字や脱字、表現の修正をしておりますが、内容に関しては一切変更はございません。
書き下ろしもございませんので、ご注意くださいませ。
「射手座の日」とモチーフにしたSFパラレルです。
古キョン中心ですが、主要メンバーから脇役まで色々と登場しております。
完全版は前回の前編、古泉編、後編を一冊にまとめた本編(360P)と本編のおまけ話を収録した外伝(50P)をブックケースにお入れします。


続き

 俺と涼宮ハルヒの出会いは、多くの人の予想を裏切って、在りきたりで陳腐な、どんなに贔屓目に見積もっても友好的とは言い難い、子供らしいものだった。
 口さえ開かなければ、当時からハルヒは人目を引く人間で、美少女と言っても差し支えのない容姿をしていた。正直に白状すると、あいつが傍に走り寄って来る姿を捉えた瞬間から言葉を発するまで、俺は道端にぼうっと突っ立ってハルヒに見惚れていたのだ。おつかいの調味料のことなど、瞬時に忘れるくらいに。こんなに可愛い女の子は、学校中の女子、全員と比較してもいなかった。男児として、胸を高鳴らせても仕方がないと思う。
 会話さえしなければな。駆け寄ってきた勢いのまま左肘辺りをわし掴まれ、細い指からは予想も出来ないくらいの力に驚いている俺を放ったまま、まず一言目。普通だったら「聞いてもいいですか」とか、「すみません、質問があるんですが」くらいが妥当だろう。だのにハルヒと来たら、なんだったか、確か「ねぇ、ちょっと、間抜け面のあんた!」といった内容だった気がする。立ち止まったことを後悔した。なんですぐさま方向転換をして逃げなかったのかと。
 つまりハルヒの話し方は幼少期から変わらず「あたし様」であったので、強制的に案内役にされた、俺の通うジュニアスクールまでの道中も、俺たちは口論が絶えずに、何度も互いを睨み付けては立ち止まっていた。いつもなら十数分で辿り着く学校が、三十分経っても見えてこなかったのだから、どれだけにらめっこしていたのか推して量れる。
 愛想を尽かし置いて行っても良かったはずなのだが、俺がそんな素振りを見せるとハルヒは、それはそれは悲しそうで心細そうな、捨てられた子犬のような目をした。結局、渋々怒りを引っ込めて俺は付き合ってやってしまったのだから、人が良いにも程があると、自分で自分に呆れる羽目になった。仕方がない、乗り掛かった船だと、俺は人生で初めて妹以外の女の子の手を握り、学校へと向かった。
 しかし、なぜハルヒは俺に声を掛けたのか。住宅街とはいえ、近くに人はたくさんいて――子供ではなくみんな大人だったが――声を掛けるなら誰だって良かっただろうに。
 思うに、あいつも不安だったんだろう。引っ越して来たばかり、母親は隣の惑星に残り、父親は仕事仕事で引っ越し初日から忙しくしている。ハルヒは家族の愛情を申し分ないほど受けて育っていたが、一人ぼっちが寂しくない子供なんか、この世の中には存在しない。
 たまたま隣の家から出てきた、同じくらいの年齢の俺を見つけ、勢いよく駆け寄ってくるくらいには、あいつも退屈していたんだろう。口に出したことはなかったが、あれはあいつなりの「友達作り」だったのだと思う。非常に常識知らずなやり口ではあったが。
 折角の夏休みだってのに、俺は学校に余儀なく行かされ、こっそり校舎に入り、立入禁止と看板にでかでか書かれている屋上に侵入までしてしまった。教師に見つからなかったから良かったものの、思えば部外者を学校に引き連れ、屋上の鍵まで壊したんだ。見つかってどやされ、反省文を書かされる可能性が高かったのは俺だったに違いない。初対面から危ない橋を渡っていたんだな。
「おい、お前まだこの学校の生徒じゃないんだぞ。部外者が不法侵入しているんだぞ。そんなことしていいのか?」
「あら、あんただって行ってみたいんでしょ? 大人って馬鹿だわ。なんでも鍵をかけて入れないようにしたら、もう大丈夫だって安心してる! こうして子供の力でも壊せちゃうものなのにねっ。それに隠されれば隠されるほど、人間ってその先にあるものを見たくなるのよ。『しんり』だわ!!」
 俺にはハルヒの言う「しんり」というものがなんなのか分からなかったが、きっとこいつも分かっていなかったに違いない。テレビや小説で得た言葉をそのまま意味も分からず自信満々に使うハルヒは、このあとも度々見受けられたのだが、たまに用法を間違っていた。そんなところも憎めない、愛すべき「悪戯っ子」の一部分だった。
「ほら! すごく気持ちがいい! こんな素敵な場所を危ないからって立ち入り禁止にするなんて、大人は愚かねっ!」
 大人を伴わず入った屋上は風が強く、戸口で躊躇っていると背中をグイグイ押されてしまった。恐る恐る金網の近くまで辿り着くと、地平線の向こうまで見渡せる美しい畑の緑と空の青が、視界いっぱいに広がった。雲がゆったりとその身を変化させながら、頭上をふわふわ通り過ぎていく。俺の身長だけで見るのとは違う、学校の高さが足された視界は、異世界に迷い込んだくらいに違っていて、ワクワクと拳を握るには十分な「冒険」に思えた。
「さぁ、キョン。あたしに教えなさい。あそこの畑では何を作っているの? 一面じゃない、大きいわ! きっとたくさん収穫できるわねっ。リンゴ? さくらんぼ?」
「あそこではブドウを作ってるんだよ。この星はワインの名産国なんだ。すごい有名だって、先生が言ってた」
「ふうん。じゃああの背の高い建物は? 宇宙人を監視でもしているの!?」
 そんな訳あるかと俺は突っ込んだ。宇宙ステーションは宇宙人などではなく、敵国の監視と星間連絡船の発着を主に管理している。お前だって引っ越すとき、あそこから家まで移動して来ただろう。言い放つとハルヒは小馬鹿にした目線で俺を見下ろした。悔しい事に、このときはまだハルヒの方が身長が高かったのだ。
「バカね。あたしのハイクオリティでウィットに富んだジョークが分からないなんて。あんた、もうちょっと見識を深めるべきだわ」
 馬鹿に馬鹿と言われてしまった心地だった。先程の会話の、どこのどの部分がハイでウィットなのか。やれやれと溜め息を吐いて肩を落とす。ハルヒへの対応で、一番多かった、いや、一番多い俺のポーズである。
「あそこに見える青い屋根の家、あんたの家じゃないの? 私の家は隣ね! 赤い屋根よ……あ、犬がいるわ。どこの飼い犬かしら!」
 ハルヒは矢継ぎ早に言葉を並べ、俺になんでも聞き、返答を求めた。マシンガントークとはこのことか。俺は話し過ぎて草臥れるくらいに付き合わされた。気付いたときには太陽がゆっくりと傾き、空が赤く染まる時間になっていたほどだ。
「夕日ってこんなにきれいなものだったのね」
 この惑星は星域の中でも珍しく、安定した恒星があり、その周りを巡っている。この星以外にも惑星はいくつもあり恒星を中心に回っていたが、俺たちが住んでいる星のように自然環境の中でオゾン層や大気が自動的に生成されるわけではなく、人工的な建造施設によって人が住めるように改造されていた。ハルヒが生まれた星はその中のひとつだった。
「前の惑星は夕日なんてなかったわ。昼と夜はあるけど、それって決まった時間になったら一気に切り替わるの。照明を消すみたいに。こんな風に少しずつ夜になっていくなんて……これが自然なの? すごい!」
 俺が当たり前と思い享受して来たものを、ハルヒは世紀の大発見と言えるほどに尊いものだと賛辞した。俺がいままで交流し話して来た人間は、生まれも育ちもこの星の人間ばかりだったので、ハルヒのような感受性を持つ外部の人物の言葉は、それこそ大発見のように真新しく映った。夕日があるなんて当然だと感じていた自分が、井の中の蛙だと恥ずかしくもなった。
「えっと、なんかの本で読んだわ……。人類が生まれた星。太陽系の地球? だったかしら。この星はそれにそっくりだって言われているのよ。広い宇宙の中でも発見された惑星はここしかなくて、だから同盟も帝国も欲しがっているってニュースで聞いたことがあるわ」
 あたしはちゃんと自分がこれから住む惑星のことを勉強して来たのよ。
 ハルヒは胸を張り、自分を畏れ敬えとのたまった。真正の阿呆かと思ったね。惑星について勉強して来たはずなのに、どうして名産品のワインを知らないんだ。勉強の基準はなんだったんだ。色々と喉元から出掛かったが、言っていることは教科書で習ったことそのままだったので、結局俺は反論めいたものは口にしなかった。
「ワインしか輸出していない、田舎だと思うんだけどなぁ」
 「太陽系」や「地球」、「同盟」、「帝国」という言葉は、学校の黒板で嫌というほど何回も見ていたけど、俺にはピンとこなかった。
 同盟と帝国はすでに二百年近く争っており、この星域に程近い場所が前線のひとつだとは習っていたが、ここは長閑で平和であり、軍艦もなにひとつ見えなくて、戦争のせの字の気配も感じられない。いまも鳥が何羽か、山に帰っていく姿が見える。
「そうね。戦争なんて、ずっと遠くでやっているんだから! ニュースでも言ってたわ。同盟惑星は安全でしょうって。ここは同盟惑星なんでしょ?」
 同盟とこの惑星が条約を締結したのは、いまから十二年ほど前、ちょうど俺が生まれた頃だった。貿易のためだとか、軍事力の強化のためだとか、毎日政治家のお偉いさんが唾を飛ばして主張しているけれど、以前は中立国として独立してきた民間人の意識には、まだ浸透していない。
 政治の話は全部俺が大人になってから、追い掛けるように理解していった事柄だ。子供の時分にはこの惑星の不安定な情勢などまったく知らずに、鼻水を垂らすまで駆け回って遊ぶことに集中していた。
 ハルヒに引き摺り出され付き合った「冒険」の数々は、非常に子供らしく微笑ましいものだった。頭に「悪戯」がつくようなことも多々あったが、呆れた顔を作っている俺がその裏側で、一緒に楽しみはしゃいでいたことを、あいつは敏感に感じ取っていたんだろう。
「キョン! 虫捕り網貸して!!」
 夏休みの最中、学校がないからと毎日ダラダラ生活していた俺を、まだ陽が昇るか昇らないかの時間にドアフォンを連打して叩き起こしたハルヒは、目を爛々と輝かせていた。寝間着のまま出迎えた俺を一目見た途端、渋面になったが。
「なに、あんた。まだ寝てたの?」
「普通の人間は明け方なんて、まだ寝ている時間だ!」
 寝惚け眼でノロノロ着替える俺の尻を叩きながら、ハルヒは「裏山に行くわよ!」と仁王立ちしていた。
 行くのは構わんが、俺も一緒に行くことになっているのはなぜだ。俺が虫捕り網を持っていないインドアな子供だったら、どうするつもりだったのか。
「大丈夫よ、庭の倉庫に入って埃被ってたの、確認済みだったから」
 お前はひと様の家の小屋を勝手に物色したのかと、怒る気力も湧いてこなかった。
 ハルヒのハイテンション――騒音とも言う――で目を覚ました妹を連れ、俺たちは思う存分、裏山の探索をした。ハルヒが見つけたクワガタやセミは、俺があとでこっそりと逃がした。とてもじゃないが、飼い方をあいつが知っているはずがないと思ったからだ。あとでしこたま怒られた。眉間にチョップを三回は食らった。
「キョン! 今日はお土産があるのよ!!」
 ハルヒが持って来たどこかの畑の葡萄――絶対に近所の畑から盗んできたものに違いない――は、ワイン用のものだから、とても渋かった。しかし傍でウキウキと感想を待つハルヒに、俺はコメントをしないではいられず、仕方なく口を開いた。
「すごくマズイ」
 不機嫌になったハルヒに俺はアイアン・クローを食らった。しばらく痛みが引かないくらいにものすごい力だった。あのときから俺の中でハルヒは「傍若無人」、「我田引水」の他に、「怪力女」の異名を持ったね。おめでとう、三冠王だ。
「キョン! 今日は流星群が見られるのよ! 集合場所はあんたの家の庭で、ミクも一緒に寝っ転がって見るんだから、暖かくして来なさいよ!!」
 その日の夜、親の目を盗んで俺たちは、寝っ転がって星を見続けた。
 夜の冷たい風なんて気にならないほど、圧倒的な景色だった。瞬きをするのも惜しく、俺たちは誰が一番たくさんの星を視界に入れられるのか、挙って競い合った。もちろん、勝ったのはハルヒだ。喜んで笑い合い夜を明かした結果、俺とハルヒと妹と、仲良く三人で風邪を引いた。
 アルバムを覗けば溢れるほど、あいつの笑顔が詰まっている。ハルヒの隣には妹、フレームギリギリのラインに俺がいる。たまに半分、フレームアウトしているときもあった。そんな写真を見てハルヒは満面、いやそれ以上に楽しそうに笑い、すぐ傍から「次はあそこに行くわよ!」と俺の手を引いた。
 あの活発過ぎる行動力のせいで、ハルヒは学校が始まってからもクラスの女子から浮きがちだった。かわりに俺を始めとした男子と戯れ、近所では「ガキ大将」と言えるくらいに腕白だった。
 ハルヒは俺たちの中で「ヒーロー」だったのだ。テレビの戦隊ものに出てくる、ちょっと抜けているリーダー。そんな感じだ。ハルヒは自分のどんぶり勘定な性格に、現在進行形で気が付いていないが。
 楽しかった。ただ、楽しかった。笑っていない日なんてないくらいに楽しくて、楽し過ぎて、俺たちは普通で幸せな、家族や友人と毎日を当たり前に過ごせる日々を送っていた。
「ねぇ、キョン。あんたたまに、お父さんとどこに行ってるの?」
「父さんの仕事の手伝い。って言っても研究室の片づけだよ。父さん、部屋の散らかし魔なんだ。放っておくと未知の生物が繁殖する」
 ニュースでは帝国の軍事力強化が叫ばれ始めていた頃、俺は常にハルヒと一緒に遊んでいるわけにはいかなくなっていた。
 俺の父親は設計士で、小難しい横文字の会社に勤めていたが、職場へたまに俺を伴った。もちろん、ハルヒに言ったのは方便で、俺はそこでこっそり、父さんが作っているでかい戦艦の設計図や、多くは理解出来なかったがなにかの装置の話を聞かされていた。
 お前のことを助けてくれるかもしれない。そんな日が来ないことを、祈っているが。
 父さんは設計図を広げながら、必ず呟いていた。俺は父さんの血の気を失った手のひらより、途方もない大きさの戦艦の内部がどうなっているのかとか、どうして動き出せるのか、そっちの方に夢中で、事の重大さを理解出来たのはもっと先の話だった。
 世の男児はプラモデルやラジコンに胸を高鳴らせてしまうものなのだ。俺はその延長線で設計図を無我夢中で覗きこみ、理解しようとした。分からないことは丁寧に父さんが解説してくれた。他にもいろんなことを、俺は父さんから教わった。知識が及ばないこともあったが、教科書を丸々暗記するみたいに、頭の中に詰め込んだ。伏せていた視線を上げると父さんの顔が、いつもいつも必死だったからだ。
 これはとても大切なことなんだと、俺は子供ながらに心の底で感じ取っていたのかもしれない。そしてたまに繰り返される秘密の時間の終わりに、毎回父さんとは指切りをした。
 けして、他の人には言ってはダメだ。隣のハルヒちゃんにも、ミクにも。学校の先生にも、友達にも。父さんの職場の人にもだ。この設計図のことは、お前が本当に必要だと思った、その時に使いなさい。
 俺の小さく細い指と、父さんの大きくて筋の目立つ指。絡みついて固く握りあい、「ゆーびきった!」で離れる。男の約束みたいで、俺は嬉しかった。だから後生大事に胸の中に秘めて、俺はハルヒにも妹にも誰にも、父さんとの秘密の時間のことは話さなかった。
「ふぅん、まあいいわ!」
 ハルヒは唯我独尊の我儘大王だったが、本当に言いたくないことまで無理矢理聞き出そうとするほど、浅慮な奴じゃなかった。笑顔ですべての憂鬱を吹き飛ばし、「明日は大丈夫なんでしょうね!」と腕組みをする。
「うん。明日は父さん、職場の人と集まりがあるからって。帰ってくるのも遅い」
「それは好都合だわ!」
 大人の目が届かない、それを好都合だと嬉しがるハルヒは間違いなく、悪ガキだろう。
「明日はヒマワリ畑を見に行くわよ! ミクとあんたと私、三人で! 大丈夫、今日下見をして来たら、ビックリするくらいに満開だったの。本当は今日行くはずだったのに、あんたがいなかったから……」
「ああ、悪い。じゃあ、明日な。かならず」
 満足げに頷いたハルヒは、指を突き出した。細くて白い、女の子の小指に自分のそれを巻き付けるのはどこか面映ゆく感じたが、目の前で期待に輝く瞳に根負けして、大人しく己の小指を差し出す。
「約束よ!!」
 ゆびきりげんまん うそついたらはりせんぼん のーますっ
「ゆーびきった!!」


 約束は、果たされなかった。

「嫌だ! 嫌だキョン! ミクも一緒よ! 三人で逃げるの!! 三人で逃げて、生き残って、絶対にヒマワリを見に行くんだから! 三人で行くんだから……! いや、いや……」
「……ああ、俺も、ミクも。あとから追いかけるよ。そして三人でまた、この星に帰って来て。ヒマワリ畑に行こうな。かならず、行こうな」
 ひとつしか残っていなかった脱出用カプセルが、無事射出されるのを見送った。背中に銃声と爆音を聞きながら。


続き

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