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2011.04.29 合同誌「showdown!」ユッカ分サンプルです。

スパコミで発行予定の米英合同誌新刊の本文サンプルです。
人名表記です。ご注意ください。


続き
「俺はまだ小腹が空いているんだけど、君もお腹が減っているんなら、帰りに奢られてあげてもいいよ。アイスクリームがいいな!」
 油に汚れた机上の書類をつまみ上げながら、さりげなく口にした言葉に、アーサーは挙動不審と言えるほど大げさに体を震わせた。
 わざとらしかったかな。でも一緒に帰ろうなんて俺からは絶対言いたくないし、言ったってこの人が素直に誘いに乗るわけがない。
 書類で顔を隠すのはなにもアーサーだけの専売特許じゃない。アーサーの返答に興味のないフリをしながら書類を流し読みつつ――私物の持ち込みの禁止など、また恐怖政治の煽り文句が見えたが、これに関しては油まみれにしたので施行は遅れるはずだ――彼の硬直した肩をちらちらと観察した。
「か、帰り道の買い食いは禁止だって言ってんだろバカぁ……」
 うわぁ、と思った。ちっとも隠せてないぞ、とも。
 誘われて嬉しいという感情や、ふわふわと舞い上がりそうなニヤケ面とか、紅潮する頬とか。それで本当に隠しているつもりなのかと問いかけたくなるほど、アーサーは喜色を浮かべている。
 俺と一緒に帰るだけでそんなに嬉しいのなら、もう諦めて君は素直になるべきなんだぞ。
 彼につられて微かに熱が上がった気がする頬を書類で仰いでいると、床に寝そべったままのフランシスが片肘で頭を起こした姿勢で、ニヤニヤとこちらを観察していた。
「うんうん、青春だねえ」
「……フランシス、すごく気持ち悪いんだぞ。主に顔が」
 まさに脂下がった顔と表するにふさわしい、いやらしい笑みだ。嫌悪のまま軽蔑の眼差しで睨みつけても、ちっとも気にしていない床の住人の元へ、立ち上がった俺はズカズカと足音高く歩みを進める。
 寝たままの姿勢で不思議そうに見上げるフランシスの腹へ向かって、床を踏みしめる勢いのまま足を下ろすとカエルが潰れたような悲鳴が聞こえた。そのまま三回ほど捻りを加えてからアーサーを振り返る。
「それで、奢ってくれるの? くれないの?」
「な、なんで俺が奢ることが前提なんだよ。その……お前がどうしても食いたいって言うんなら一緒に行ってやってもいいけどな。でも、たまには年長者を敬うって行動を」
「敬うに値する人にはそれ相応の敬意をちゃんと示してるつもりだけど」
 俺の返答がお気に召さなかったのか、アーサーは書類を下ろすのと同時に機嫌を降下させ、険のある瞳で睨みつけてくる。彼のどこが話術の巧みな鉄辺皮だというのだろう。こんなに喜怒哀楽が分かりやすいのに。
「それはあれか。お前は遠回しに俺のことを敬う価値がないと言っているんだな? 売られた喧嘩は買うぜ」
「きみ、人に尊敬されるような行動を自分がとっているって本気で思ってるの?」
 敬意を払うことと大事に思うことは違う、と伝えるつもりが、驚愕がうっかり別の単語を先に口走らせてしまった。心底意外だという表情をしてしまっていたのかもしれない。アーサーは怒気も反論も即座に爆発させた。
「どうせ俺はみんなに嫌われてるよバカァっ!!」
 机の上に置いてあった辞典やら資料やらをがつがつと俺に向かって投げつけて、アーサーはその勢いのまま生徒会室から飛び出していく。
 しまった、逃げられたと思っても後の祭りである。しかしここで「口が滑っちゃったんだよ、ヒーローは嘘がつけないんだ」と弁明しても、それを聞いた十人中十人が、フォローになっていないと言うだろう。
「あーあー、泣かせたー」
 床からは腹の痛みに呻いていたはずのカエルが復活して、ケラケラと愉快そうに笑っている声が聞こえた。忌々しいことこの上ない。火に油を注ぐことはあっても、慰めてくれるような人格者ではないと知っているから余計に。どうせからかうだけからかって放置するくせに、ちょっかいばかり仕掛けてくるんだ、この男は。
「子供みたいな声、出さないでくれる?」
「折角のお誘いも無駄になっちゃったねぇ。かわいそーに」
 微塵もそんなことを思っていないのは三日月型を取っている口の形からも分かる。アーサーが散らかした本を拾い上げながら、俺は苛立たしさを隠さずに鼻を鳴らした。
「なんならお兄さんが一緒に行ってあげようか。いくらでも奢ってあげちゃうよー」
「財布だけ寄越してくれよ」
 にべもなく言い切っても、フランシスは負けじと床を這いずって近づいてくる。ナメクジみたいなおぞましさに、俺もここから逃げ出したくなるくらいだ。
「そんなこと言わずにさぁ、あんな眉毛と違ってお兄さんはいろいろうまいし優しいよ!」
 ガバリと上半身を起こした姿はまさに墓場から這い出たゾンビそのもので、恐怖のあまり腕の中に抱えていた分厚い書籍を思い切り変態の頭上へと投げつけた。ダンクシュートを決めたとき、うっかりリングゴールを壊したこともある俺の腕力だ。これでダメージを受けなきゃ、フランシスは本物の化け物だと思う。
「ぎゃあっ!」
 だがアーサーの書籍は厚さと重さ相応の効果があったらしく、俺の腕力も加わって変態は再び地に伏せた。おかげで世界に平穏が戻る。胸を撫で下ろし、冥界の扉をノックしつつあるフランシスを放置したまま、俺は生徒会室を辞した。
(さて、どこで落ち込んでるかな。あの人は)
 いつもなら迷うことなく生徒会室のカーテンの中だけど、今回は出発点がそこなので、第二、第三の候補地を巡らなくちゃならない。
 彼はちっともばれていないつもりみたいだけど、アーサーの避難場所などすべてお見通しだ。俺がタイミングを見計らって迎えに行っていることに、果たして本人は気づいているのかいないのか。
 きっと考えたこともないに決まっている。
(ほんと、自分でも一途だと思うよ。あんな面倒なひと相手にさ)
 業務を途中で放り出すことなど到底できない人だから、近場のトイレか給湯室が今回の穴倉だろう。確率が高いのは給湯室の方かな。たぶんヤカンに向かってぐちぐち、泣き言を聞かせているに違いない。
 予想は違わずアーサーは、穴倉の比喩そのままに室内の電気も点けずにそこにいた。縮こまっていないだけまだマシで、陰気なオーラは例えようがないほど重い。
「なんだよ……言われなくても俺だって分かってるっつうの……」
 肩を落として鼻声で呟く彼に反応してくれるのは必死に水を沸かそうとしている炎だけ。盛んに揺れている彼らはアーサーの繰り言に構っていられないと体を震わせている。
 そりゃそうだよね、彼らはがんばって仕事をしている最中なのだから、美味しい紅茶にありつくためにも絶対に邪魔をしちゃいけない。
 君の泣き言に律儀に付き合ってあげられるのは、俺以外いないんだからさ。
「ぎゃああっ!」
「……色気のない悲鳴だなあ」
「あっ、あってたまるかあ!」
 さっきみたいに、けれど今度は背後からさらに密着して。
 彼の腰に腕を回すと、アーサーはアニメに出てくるウサギみたいにぴょんと跳ね上がった。
「なんだい、せっかく迎えにきてあげたのに、嬉しくないの?」
「お、俺が頼んだ訳じゃないし。お前が勝手に……第一、」
 まだ文句が言い足りないらしい。
「うれしくないの?」
 耳の中に吹き込むように呟くと、アーサーはぴたりと黙り込んだ。口よりもよっぽど素直な耳たぶが思いを隠しきれず、素直に嬉しいと言っている。
(ここには誤魔化さなくちゃいけないようなものなんて、なーんにもないのにね)
 至近距離のせいで、堪えきれなかった笑いがアーサーにも震えとして伝わってしまった。
「なんだよ……バカにしやがって」
「してないよ。かわいいとは思ったけど」
 滅多に口にしないことを囁くと、アーサーは狭い檻の中でなんとか逃亡しようと前のめりになる。シンクに手を付き、顔をなんとか見せまいしている彼の行動は、部屋の暗さも相まって成功していたけれど、くっついた背中から聞こえる心音はなにも隠せていない。
「このバカ、バカ」
「バカバカ連呼しないでくれないかい」
 無粋な沸騰の知らせに邪魔をされないようガスの火を止めて、俺はアーサーの体を反転させた。ダンスのターンに似ている身のこなしは彼の羞恥心をさらに増大させたようで、このまま胸に縋りついて顔を隠すか、腕に力を込めて密着した体に隙間を作るか、逡巡が震える肩から読み取れたけれども、思いやる義理はない。
 後頭部に添えた手でアーサーも俺の意思表示を正確に把握したはずだ。それでも抵抗しなかったのだから、これはもう合意とみて良い。彼の場合なら。
 そう判断して少しずつ近づけた頬の距離を邪魔したのは、やかましいヤカンの音でも――これを見越して先に火を止めたのだから――にやにやと皮肉気に笑う伊達男でも――そのために気絶させてきたんだし――なかった。
 伏兵というものは想像の範疇外に存在するから伏兵と呼ばれる。腹が立つことに身を以て実感させられる羽目になった。
「私としてはここで馬に蹴られるような役割は非常に口惜しく、いいぞもっとやれとカメラを持参することもやぶさかではないのですが、ああああなんてことでしょうあと三十秒、いえ十秒遅く顔を出すべきでした……というかまだ間に合いますかね……!」
 携帯電話はどこでしたでしょうか、などと懐を探っている人物の呟きに、腕の中のひとが反応しないわけがなかった。
 この学内にいる誰よりも彼が優先し――もちろん俺への優先度には負けるけどね。むしろそうじゃないと怒るぞ――大切にしている人物。俺にだって大切な友人の一人でもある。
「菊……君ってば、わざとかい」
「ですから、本意ではないと先ほど申し上げましたでしょう。私だって自分の行ないと立場に歯軋りしたいですよ叶うものなら」
 とりあえず室内の照明を点けた彼は、懐から探り出した携帯電話のカメラ機能でパシャリと俺たちの姿を写真に収めた。無機質な電子音に我に返ったアーサーは慌てて俺の腕から逃げ出す。
 乱れもしない制服を急いで整える様は滑稽としか言いようがなく、あからさまに呆れる俺とは対照的に、菊は「可愛らしい」とにこにこ微笑んだ。
「ほ、本田じゃないか! こんなところまで追いかけてくるなんて俺になんか用だったのか? 生徒会室で待っていてくれても良かったのに」
 表面上だけはなんとか取り繕ったアーサーは、もう一度ガスの火を入れて内心の動揺も収めようと必死のようだ。
「いえ、一応室内を伺いはしたのですが、意識のある方は誰もいらっしゃらないようでしたので……私は部外者ですし、おそらくすぐにお戻りになるのなら、どちらにせよこちらでお声掛けした方が良いかなと」
「そ、そうか! わざわざ悪かったな。ちょうど休憩しようとしていたんだ。良かったら一緒に……、あちっ」
 落ち着きなよとため息を吐きながら、シンク上に出してあった紅茶の缶の隣にコーヒーの豆も用意する。俺と彼と床の上で気絶しているボロ雑巾だけだったら同じくアーサーの入れた紅茶を楽しんであげても良かったけど、そこに菊が加わるのなら話は別だ。
 穏やかな見た目とは裏腹に強かな黒髪の友人は、彼の趣味のために、こちらの一挙一動を観察している節がある。隙あらば赤面もののネタにされかねない。
 例え相手が、こちらのそのすべてを見越していて、それすらも「萌え!」などと叫んでいたとしてもだ。
 コーヒー豆の香りに顔を歪めたアーサーは――紅茶の芳しさを阻害するのがお気に召さないらしい――しかし背後で能面のような笑顔を浮かべる菊を振り返ったときは、ふんわりと優しい表情をしていた。
「それで、どんな用件だ? 放課後はサークルで忙しいお前が、ここまで足を運ぶなんてよっぽど火急の用件じゃないのか?」
 その笑顔も、菊の次の一言で瞬時に凍りついたけれど。
「ええ、とても重要で急迫と言えるでしょう。あなたに」


「あなたに、決闘を申し込みます」
続き

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