学ヘタパラレル

01. ホラーハウス1
02. ホラーハウス2
03. ホラーハウス3


※「花は根に、」とは繋がっていません。
※サイトでは完結しません
※▲でここに戻ります。















  01.ホラーハウス1

「こらぁ! ねぼすけっ。いつまで寝てるつもりなんだよ!」
 ベッドから思いっきり蹴り落とされた俺は、強かに背中を打った。言葉通り、本当に蹴られてベッドの縁から床に落とされたのだ。
 突然の痛みに呻いていると、蹴り上げた足を床へ戻したアーサーが、こちらの方へと回り込んで来る。落ちるときにシーツを巻き添えにしてしまったのだが、それを無情にも剥がされた。
追剥かと言いたくなるが、詰まった呼吸で儘ならない。ベッドに戻さず小脇に抱えているところを見ると、洗濯して新しいものと交換するらしい。そのマメさ加減を、ちょっとは俺に対して発揮してくれてもいいだろうに。
「朝飯だ。みんな待ってるんだから、さっさと……」
 くどくどと小言を吐きながら、アーサーはシーツを几帳面に畳んでいた。いつまでも床に転がっているわけにもいかないし、痛む背中を擦りながら上半身だけ起こすと、アーサーがぎょっとシーツを折り曲げる作業を止める。
 おそるおそる指先が伸ばされてくるけど、それは躊躇って宙で止まった。そわ、そわ、落ち着かなく引っ込んだりまた伸びてきたり。忙しなく動いている。
 はっきり言って挙動不審だ。不審人物扱いされても文句は言えないと思う。顔に思考が表れていたようで、アーサーはごにょごにょと言い訳をし始めた。
「べ、べつに! 俺が触りたいとかじゃなくてっ。慰めてるわけじゃないから勘違いすんなよ!! 目の前でそんな顔されたら、俺だって鬼じゃないし、仕方なくだからな……!」
いや、過去に見てきたきみの所業は結構、デビル並みに酷いものが多かったぞ。
それはともかく、一体なんなんだ。言っていることがちっとも分からない。そう思いながら見上げていると、一定距離から近付こうとしなかった指がえいやと伸ばされ、触れるか触れないかの微妙な感触をさせながら、そっと俺の眦を拭っていく。
「……なにか、嫌な夢でも見たのかよ?」
 彼の人差し指は濡れていた。そこでようやく自分が泣いていたのだと知り、慌てて乱暴に目を擦る。
 なんてことだ。夢を見て泣いてしまうなんて、幼児でもあるまいし。おまけにそれをアーサーに見られてしまうなんて、恥ずかし過ぎる。
「な、なんでもないぞ!」
 がばりと立ち上がれば、古いながらもきれいに掃除された部屋が一望できた。とは言っても、一日がかりで必死に掃除をしたのは俺自身だけれども。
俺が寝ていたベッドの他に、この部屋にはもう一つ寝台が備え付けられている。そこにはすでにぴしりと身支度を整えている目の前の彼が眠っていたはずだが、シーツは替えられホテルのようにベッドメーキング済みだ。
訪れたばかりのときは埃まみれで、床に溜まっていたそれは足跡がくっきりと出来るくらいだったし、息を吸えばすぐに咳とくしゃみのオンパレードだったのだから、昨日の自分を褒めてやりたい。
 なんとか眠りに着くことが出来るくらいに美しく部屋を整えたあとは、疲労のあまりベッドに倒れ込んでしまった。
洗ったばかりのシーツ――もちろんシーツもカビ臭くて堪らなかったのだが、それは目の前のこの人が鬼のように洗濯しまくっていた――からは清潔な香りがした。疲れと相まって、悪夢はおろか夢を見る余裕なんて、欠片ほどもないと思っていたのに。
 どうしてあんな夢を見たんだろう。
 冷たくなった幼い自分の指先、鼻に残る鉄錆の匂い、目の奥には蝋燭の明かりがちらちらと像になって残っている。その中で唯一のよすがにしていたアーサーの体温。
空気を震わせた断末魔が、まだ耳にこびり付いている気がする。あまりにもリアルな夢だった。
「そうか? ……まあ、どうせ夢だしな。とにかく! 早く顔洗って着替えろよ」
 あっさりとアーサーは俺から視線を外して、部屋から出て行こうとする。夢のことには泣いた手前、確かに突っ込んで聞いてほしくなかったけれども、これはこれで面白くない。なんだいその反応。
 俺たちの関係を踏まえれば、あんまりじゃないか。
「アーサー。待ってってば。すぐに準備するから、一緒に行こう!」
 シーツを抱えている背中を抱き込んで引き止める。アーサーはびっくりしたのか俺を仰ぎ見て――ちょっとだけの身長差だけど、実にいい距離だ――軽く眉を顰めた。もちろんこの表情は照れ隠しだと知っている。
「な、なんだよっ、離せってば!」
 だって頬はバラ色に染まっているのだから。
「ね、朝の挨拶がまだだよ?」
 きゅうっと力を込めると、俺の腹にはぴったりとアーサーの背中がくっ付いて、体温が伝わってきた。あの夢のものとは全く違う、彼の感触を確かめる。
どんなにリアリティに溢れていても、所詮は夢だ。本物とは似ても似つかない。少しずつ、悪夢の残滓が離れていくのが分かる。
ふいっと視線を落とした彼は、ちらりとドアの方を見つめて、ぼそぼそと呟いた。
 みんながいるのにとか、朝から不謹慎だとか。彼は二人っきりの隔絶された空間で、おまけにシーツにくるまれて外界から隠れていないと安心できない人なのだ。
「ドアは閉まってるのに? それに俺を起こしに君が来たんだから、他の人が様子を見に来ることはないよ」
 みんな俺と君との関係に、気が付いているだろうし。
「ね、アーサー。キス」
 彼が折角畳んだシーツだけど、それを囲いのように頭上に広げた。ふわりと舞ったシーツは天井を一瞬で隠し、ゆっくりと俺たちの上に被さってくる。
「し、仕方ねぇな。挨拶だからな! それ以上すんなよ」
「分かってるって」
洗剤の香りがする真っ白な布に包まれ、柔らかい朝の光を透かした空間で唇を合わせた。
「ん……」
 首だけ振り向き、アーサーはちょい、と軽く皮膚だけ触れ合わせた。それだけでは満足出来るはずがなく、その腰を捕まえる。くるりと半回転させてもアーサーは何も言わなかった。彼の背中を引き寄せた俺の首に腕を回し、もう一度唇を重ねる。
 挨拶だけって言っていたのは、きみだったと思うんだけどね。
 口元だけで笑ってから、微かに開いている隙間から舌を潜り込ませると、ちょっとだけ紅茶の香りがした。アーサーの味だ。深く味わうように舌で舌に触れると、くちゅりと絡まる。口内をかき混ぜて遊べば、アーサーは足を震わせた。すごく、かわいい。
「……ん、……」
 ちゅうっと音を立てて、皮膚を擦り合わせたまま深い繋がりだけは解いた。自宅だったり、学校の寮ならばこのまま貪り尽くしてしまいたいけれど、アーサーが言っていた通り皆が待っている。あんまりに遅くなれば、さすがに気を利かせた誰かが呼びに来てしまうだろう。
「朝の挨拶にしては、ちょっと刺激的すぎたかな?」
「言ってろ、バカ」
 ふざけて笑った俺に、アーサーは頭に乗っかっていたシーツを外して溜め息を吐いた。湧き上がった情欲を深呼吸で誤魔化して、まったくと怒ったふりをする。
「またたたみ直しじゃねぇか。手伝えよ、アル」
「はいはい。その前に顔だけ洗ってくるよ」
「はい、は一回だバカ」
 俺の着替えを用意するアーサーは、他の人間からすれば兄の背中に見えるだろう。口うるさくて過保護な兄。
でも俺の目には別のものに映った。口うるさくて過保護なところは変わらないんだけれどね。でも一番重要な部分が違う。
 なんと言っても、俺たちは恋人同士なのだから!






  02.ホラーハウス2

「みんなおはよう!」
「お前が一番おそようだ」
 自前のエプロンを付けているフランシスが笑いながら、キッチンから運んだコーンスープを鍋ごとテーブルに置いている。他のみんなはすでに椅子に腰かけていて、会話を楽しんでいたようだった。
「おはよー」
「アルフレッド、遅いぞ」
 焼きたてのパンを籠いっぱいに積んだフェリシアーノがフランシスに続きキッチンから出て来て、挨拶をしてくれる。ルートヴィッヒが籠ごと受け取って、テーブルのみんなが座るだろう中央へと置いた。
 朝食の席に用意された部屋は、どれだけ大人数を招待するつもりだったのか問い質したくなるくらいに大きい長テーブルが配置されているところだった。
続き間には一般家屋によく見られる大きさのキッチンがある。この屋敷の雰囲気と大広間には不釣り合いだなと不思議に思ったが、料理人が何人も入るような大規模なものは別の場所にちゃんとあるらしい。
「おそらく建造した方はそれで生活していたのでしょうが、後ほど買い受けた方が不便ですぐ隣にキッチンを増設したんじゃないでしょうか」
 菊がそう言っていたけれど、こんな屋敷、そう何人も買い手が付くものなんだろうか。しかもさらに手を加えるなんて。まあひとり分の料理をするのに、遠くて大き過ぎるキッチンが不便であることは確かだろうけどね。
 そんな先人の遺産である、慎ましい大きさのキッチンは、昨日フランシスが掃除をしたらしい。調理器具も一式残っていたが、赤錆だらけの鉄製のそれに悲鳴をあげていた。
 この大広間は菊とアーサーとで掃除している姿を見かけた。磨かれたテーブルも床も、ピカピカと光り新品みたいになっている。けれど、アーサーは確か浴室の掃除も担当していたはずだ。
 「アーサー、きみ。昨日どことどこ掃除してたの?」
 着席したフェリシアーノとルートヴィッヒの、テーブルを挟んだ向かいの席へ二人で腰掛け、俺はこそこそと彼に囁いた。
「あー? この部屋と風呂と玄関と階段? あとは目に付いたところをちょこちょこ」
「玄関まで掃除したの……」
「とりあえず俺たちが出入りする一か所だけな」
 アーサーと俺に割り当てられていた、寝室代わりの一部屋だけでも俺には精一杯だった。
浴室は全員が交代で入れるよう、近場の二か所だけ使えるようにしたらしく――部屋の数が途方もないのと同様、この屋敷は浴室もそりゃあ大量に作られていたのだ。ざっと見ただけでも六部屋はあった――しかしそこもこの大広間と同様、ピカピカになっていて、水垢のひとつもなかったのに。
「きみは化け物かい……」
「お前が寝るところはきれいにしてくれてたからさ。楽だったよ」
 どこが楽なんだ。昨日のアーサーの労働力を考えれば項垂れそうになるが、褒められて悪い気分にはならない。うん、朝食を食べたら今日も頑張ろう。
「それじゃあ揃ったことだし、頂きますか」
「もうお腹がペコペコです!」
 フランシスが人数分のスープを盛り付け終わったところで号令が掛かる。彼を手伝っていたセーシェルも共に席へ着いたところを見計らって、それぞれ感謝の言葉を述べるとほかほかと湯気を立てる皿へとフォークを伸ばした。
 カリカリに焼かれたベーコンに目玉焼き、ポテトの横にミニトマトが添えられている。向かいを見てみるとルートヴィッヒがやはりポテトをぐちゃぐちゃに押し潰していてげんなりした。
 焼きたてのパンはクロワッサンだった。バターが香ばしくて何個でも食べられてしまう。コーンポタージュも程良い甘みで美味しい。サラダはドレッシングの酸味が絶妙で、パンに挟んでもちょうど良かった。
 俺とセーシェルがどんどん皿の上のものを消化していく様を見て、料理人冥利に尽きると笑っていたフランシスの顔がだんだん引きつっていく。
「朝からその量はどうなの……」
「なに言ってるんだい! 朝食がその日の体調を決めるんだぞ!」
「そうですよ! タダ飯が食べられるときにたくさん食べないでいつ食べるんですか!」
「テメェら口にもの突っ込んだまま話すんじゃねぇ!!」
 教育的指導で隣からスプーンが飛んで来るのは行儀が悪くないのか激しく疑問だ。
「アル……言ってることは尤もだけどな……あとセーシェル。もうちょっとオブラートに包みなさいね。出資者が目の前にいるからね?」
「いえいえ、お若い人がたくさん食べる様は気持ちがいいですねぇ」
 のんびりと言っている菊だけど、学年はアーサーやフランシスと一緒だし、顔だけ見れば俺よりも年下に見える。
「おじいちゃんになってる場合じゃないから! こいつらの量はおかしいからっ」
 フランシスがさめざめと泣いているのは放って置き、腹八分目になった俺はフォークを置いた。お腹いっぱいにしたいところだけど、満腹になったら動けなくなっちゃうしね。
「満腹じゃないのかよ……アーサー! お前どんな怪物育てたわけ!?」
「ばっ! 胃袋の大きさまで面倒見れるか! それに可愛いじゃねぇか。アルが一生懸命飯食ってる姿はよ……」
 後半はぼそぼそと口の中で呟くように話していたので、みんなには聞こえなかったようだけど、フランシスにはしっかり届いたみたいだ。
 舌が麻痺するくらいの酸っぱいものを食べたような顔をして、甘やかすのよくない! と叫んでいた。
そんなの知ったこっちゃないね。健全な体は健全な食生活から生まれるんだぞ。
「だから・・・…健全って量じゃねぇって」
 テーブルを涙で濡らすフランシスを気にする人間は、ここにはいなかった。
「食後のお茶をご用意して来ますね。朝食はフランシスさんとフェリシアーノくんにお任せしてしまいましたし」
 椅子を引いて立ち上がった菊に続き、アーサーも立ち上がる。
「俺も行く。紅茶が飲みたい」
 がばりとフランシスが顔を上げる。君、さっきまでめそめそと泣き伏していたと思うんだけど。立ち直りが早過ぎる。
「ぼっちゃーん。俺の分も」
「あたしも仕方ないから眉毛の紅茶でいいです」
 続けて手を上げたフランシスとセーシェルに鬼のような目を向けたアーサーだが、ガラの悪い舌打ちをひとつ付いただけで怒りを収めたようだ。充分二人は怯えていたけれども。
「おい。お前らはどうする」
 ルートヴィッヒとフェリシアーノは顔を見合わせたかと思うと、二人でこくりと頷いた。
「俺、アーサーの紅茶久しぶりに飲みたいなー」
「ああ。頼む」
「し、仕方ねぇから入れてやるよ! あくまでついでだけどなっ」
「では多数決で、今日はアーサーさんの紅茶にしましょうか。よろしいですか? アルフレッドさん」
 菊のにこりとした笑みにはなぜか威圧感がある。そんなに怖い笑顔を浮かべなくたって、紅茶が嫌だとか文句を言ったりしないのに。確かに俺はいつもコーヒー党だって名言している。でもみんなは知らないけど、アーサーの部屋に遊びに行ったときは紅茶しか飲んでいないんだから。単にアーサーがそれ以外を入れてくれないせいもあるけど。
「今日は紅茶でいいよ。でも明日は絶対コーヒーなんだからな! 反論は認めないぞっ」
 胸を張って宣言すると、溜め息を吐かれたり苦笑を浮かべられたりした。そんなところは学校にいるときと変わらなくて、なんだが腹の奥にほわほわとあったかいものが浮かんだ。






  03.ホラーハウス3

「おい、バケツどこにやった」
「あれ? そこらへんに転がってないかい?」
 真っ直ぐな廊下なんだから、どこかにぶつかっても壁に跳ね返ってすぐ目に付く場所にひっくり返っているだけだと思うのだが、確かにバケツが見当たらない。
 立ち上がって歩みを進めると、右手に曲がれる通路があった。しかし、ただ曲がるだけじゃない。
 そこは階段だった。上にのぼるためではない。下へくだって行くもの。俺たちが歩いていたのは一階だから……。
「これって、菊が掃除の必要はないって言ってた地下への階段だよね」
「そうみたいだな……真っ暗だけど」
そう言えば二階への階段はたくさんあったけど、地下への階段はこれが初めてかもしれない。
 壁紙も多種多様のものが張られている一階や二階と違い、地下への階段はレンガがむき出しになっている。手抜き工事だったんだろうか。これだけ屋敷の装飾に凝っていた人物が、地下はこんななおざりにしているだなんて。
「ここだけずいぶん雰囲気が違うね。途中で予算が足りなくなったのかな?」
 二人で頭だけ突き出して、真っ暗な階段の底を覗き込んでみた。近くに照明のスイッチらしきものは見当たらず、地下へ行くためには明かり代わりの何かが必要なようだった。
「この地下室を使っていた当時は、電気がここまで通ってなかったか……または懐中電灯やランプで充分な用しかなかったのかもな」
「でも改築や増築はしてたんだろう? そのついでに手を入れてもいいと思うけどね」
 電気の恩恵に慣れてしまえば使用頻度が少なくても、照明くらいは直していそうなものだ。
「最初の持ち主は使っていたかもしれないけど、後に住んでたヤツは本田みたいに、使ってなかったんだろ」
 あっさり言い終えたアーサーは、そのまま石畳の階段をトントンと降りて行く。先に言っておくが、俺たちは当然懐中電灯なんてものは持ち歩いていない。
「ア、アーサー!?」
「なんだよ?」
「真っ暗じゃないか! 危ないぞっ」
 入口の部分はまだ明るい一階の照明が届いているから良いものの、奥へ進めば進むほど視界は悪く、暗くなっていく。反射光さえない、真の闇だ。
 正直、怖い。
「でもバケツ、下まで落ちてったかもしれないだろ。取りに行かねぇと」
 なんできみはそんなに平気そうなんだい! ホラー映画だと、この先には主人公たちを阿鼻叫喚させる展開が待ってるんだぞ!
「バケツなんて無くても掃除はできるじゃないか!」
「いや、できねぇだろ」
 呆れた声色のままアーサーは怖いならそこで待ってろ、と言い置いて、さっさと地下へ歩みを進めて行った。そう言われても、ここにいたままアーサーが帰ってくるまでの時間やきもきしているのも苦痛だし、結局俺は一人になってしまうし、なによりも苦難を前にして逃げるなど、ヒーローの行いじゃない!
「待ってくれよアーサー! 俺も行くからっ」
 暗闇にとけそうになっている背中を慌てて追いかけて、俺も階段を駆け降りた。今度はぶつかって転んでしまっては、背中が痛いだけじゃ済まない。そっと寄り添うように、背後からアーサーの肩に手を置いて、ゆっくり一段一段、確認するように足を下ろす。
 視界が利かなくなり始めたと思ったとき、アーサーは急に立ち止まって懐のポケットを探った。
 なにをするんだろう。菊から借りたアニメに出て来たネコ型ロボットのように、アーサーの胸ポケットは四次元に繋がっていて、まさか懐中電灯が出てくるのではないかと一瞬期待してしまった。
念のため、あくまで懐中電灯が出てくることを期待したのであって、四次元ポケット云々は冗談だ。
「あーっ!」
「耳元で大声出すなよ!」
「なんだいそのオチっ」
 アーサーが出したのは携帯電話だった。俺だって持ち歩いている。携帯のフリップを開けて電灯変わりにし、アーサーは再び歩き出した。少々心もとない明かりだが、ないよりはいい。
「お前は何を期待してたんだよ……どうせ本田から借りたアニメのキャラクターの便利道具がどうとか思ってたんだろ?」
 気持ちが悪いくらい当たっている。
「そんなことはないぞ! 携帯用の懐中電灯でも出てくるかと思ってたんだ」
「そりゃ悪かったな。まあちっと暗いが、似たようなもんだ」
 会話が途切れるとカツンカツン、靴が石を叩く音だけが耳の奥へと入ってくる。
この音は最近どこかで聞いたことがあった。どこだったっけ……。
 記憶を探るために注意が疎かになっていた俺は、急に立ち止まった背中に腹をぶつけてしまった。
階段の段差のせいで、アーサーの背中の位置にちょうどお腹があっただけだ。断じて俺のウエストはメタボになっていない。絶対にだ。
「いきなり立ち止まらないでくれよ! 危ないじゃないか」
「着いたんだよ。あったぞバケツ」
 アーサーはそのまますいすいと水平に歩いて行ったので、そこでようやく階段が終わったのだと分かった。彼の肩ばかりを見ていたのでまったく気が付かなかった。
 地下の床も武骨な石の板が続くばかりで、装飾らしい装飾はないようだった。自分の携帯電話を出して天井を照らしてみる。思ったよりもすぐ傍に石の天板があって、頭がぶつかるほど近くはなかったが、無意識に背中を丸めた。
 地下は考えていたよりも狭くて小さい。地上にある屋敷の大きさを考えれば、地下も迷路みたいに大きくて広そうなものだが、視界に入る廊下だけを見ていれば、この閉塞感はまるで。
「……監獄みたいだな」
 バケツを拾ったアーサーが俺と同じように、真っ直ぐに伸びる廊下の先を見つめていた。規則正しく並ぶ扉はみんな鉄製で、鍵が掛かるようになっている。小窓がそれぞれついていて、のぞき窓みたいに見えた。鉄格子だったら、まさしくここは牢屋に見えるだろう。
 そんな部屋がたくさん、たくさん並んでいるのだ。
 近くにあったドアを試しに開いてみる。放置されていた年月の長さを物語り、扉はギイイイイイと薄気味悪い音を立てながら、開いていった。鍵は掛かっていないみたいだ。
「……?」
 室内は狭く、なにも置いていない。石造りの壁と天井、床だけが石ではなくむき出しの土になっていて、湿っぽく鉄が錆びた匂いが鼻にツンと沁みてくる。
携帯電話からの頼りない光では見え難くてかなわなかったけど、ドアから一番遠い角の方で、何かがゴソゴソと動いているような気がした。
「ネズミかな?」
 部屋の中央まで足を踏み入れて、明かりで照らして見る。何もいない。勘違いだったのか。
「アル、あんまりうろちょろすんな」
 アーサーも部屋の中に入って来て、盛大に顔を顰めた。
「地下室全体で匂ってるけど、ここも酷いな」
「ああ、鼻が馬鹿になりそうだよ。この錆びてる匂い!」
 ドアのどこかが腐食でもしているんだろう。地下室だし、換気も良くないみたいだ。息苦しい。
「はぁ? なに言ってんだ。錆びてるっていうより、カビ臭いだろ」
「君こそ。すごい錆の匂いじゃないか。まるで」
 血を振り撒いたような。
そうだ、血の匂いは鉄が錆びている匂いと良く似ている。
 そう口に出そうとしたとき、ごそりと背後で何かが動く。
 ――あいつらが来るよ。
やっぱり勘違いなんかじゃない。ばっと振り返り正体を確かめようとした。しかし俺が目を離すのを狙っていたかのように、今度は扉がバタンと勢いよく閉まる。
「なっ!?」
 これにはアーサーも驚いたらしく、急いでドアに駆け寄ろうとした。